先月届いた高校の同窓会会報の中にあった記事に触発されて、題記の本を読んだ。およそ35年前に出版された本で以前には保有していたが今はなく、図書館でも撤収されていて松本の丸善で購入した。購入した文庫は昨年3月に改版7版として発刊されていて、衰えぬ人気に不朽の名作であることをあらためて感じた。本の内容はスポーツドキュメンタリー8作品、中でも有名な短編は題記のものが第8回日本ノンフィクション賞を受賞、そして筆者のデビュー作である「江夏の21球」も収録されている。スポーツエッセイの草分けで、徹底した取材に基づく冷静な分析と主人公の奥に秘められたナルシズムをうまく醸し出す作風はそれまでにはなく、そして今読んでも新鮮だ。私とほぼ同年配の筆者だが、46歳の若さで急逝されたのが惜しまれる。
さて、この本のタイトルの主人公は私の高校の元野球球児だが、冒頭の会報誌の記事で一昨年に亡くなった旨を知った。また逝去のニュースはNHKの特集でも放送されたようだ。記事の投稿者は主人公とバッテリーを組んだ人で、その思い出話に秘められた世界の広さを垣間見た感がした。このタイトルの短編は秋の地方大会までの話で、翌春の選抜甲子園が開催される前には既に雑誌に初出されてしまった。そして、甲子園の第1球は試合後のインタビューで応えた「大会で一番遅いボールを投げようと思いました」のスローカーブとなった。ところが、それは話題を集めたこの小説のイメージに乗ってしまった若気の至りで長い間、40代になるまで後悔することになったそうだ。物語の主人公は投稿者にとって違和感があり、それを最も強く抱いていたのはご本人だったようだ。1試合に2〜3球投げる程度のスローカーブの遊び球が筆者の目に留まり、これがウィニングショットのようなイメージで大会前に世間に広まってしまったこと、を私は今になって知った。物語では『ピンチになれば逃げればいいんです』とあるが、実際はインコースのストレートで真っ向う勝負する強気のピッチングが信条であったと知り、私としても悶絶する思いがした。そして「世の中には何一つノンフィクションのドキュメンタリーなどはない」と豪語した著名な映画監督の言葉が心によぎった。
さて、長くなったついでに今回の同窓会会報の別投稿から本件に関わるよもやま話を2つ。創立1897年、120数年の歴史の中で甲子園初出場を今回の主人公達が達成したが、この快挙の当時にかのF元総理は野球部員全員に中国料理のフルコースを振る舞い、一昨年亡くなったN元総理は練習グラウンドに出向き部員一人一人に「さわやかにベストを尽くせ ただそれだけでよい」と記した自分の色紙と伊勢神宮の御守りを手渡したそうだ。