ノスタルジック・メモリ(その3)名物先生

うちのババさまとの共同生活はやはりインパクトも大きく、今週からは日中はデーケアに通うようになりました。その分、気は休まるのですが、寝不足でこの頃はふとするとくたびれ果てた老人のように昼寝している自分に気づきます。それにしても介護の世界は凄まじく、壮絶であることを思い知らされました。特別、介護に携わっているわけではありませんが、時として夜は5~10分おきに就寝を妨げられることは日常です。それはさて置き題記に戻って、文調を変え下記します。

20160507在りし日の高校時代の思い出と言えば、やはり先生が絡む。どこの学校でも名物先生の一人や二人はいたはずだ。我が高校の名物先生と言えば、英語の「メッチー」や漢文の「探幽」、他何人かいた。メッチー先生はすこぶる目が悪く、少し体を震わせ教科書に覆いかぶさるようにして片目で文字を追う姿の授業を思い出す。本来なら、目が不自由の身障者としていたわるべきだったのに、生徒はみなメッチー、メッチーと軽率に呼んでいた。あだ名の由来は、大酒飲みで戦後の食糧難のヤミ時代にメチルアルコールを飲みすぎて目を悪くしたのでメチルから来たあだ名だと、みな噂していた。ある日、後ろの席で騒いでいた生徒を叱ろうと指差ししながら近寄ろうとして、そのまま後ろの壁にぶち当たり、翌日の指の包帯が何とも哀れだったことを思い出す。次に同じ英語のU先生は曲がったことが大嫌いな性分だ。質実剛健、真っ直ぐな先生で、こわおもての顔を緩ませることもなく、廊下の角などは直角にターンしてまるでタンゴのステップのようだった。英語部の顧問としてさんざお世話になったが、この先生が大のウィスキー好きだったことを卒業する頃になって、はじめて知った。酔った時の先生の歩行を思い描くのも可笑しい。酒豪ぞろいだった英語の先生たち、今にして思えば、とても人間的で微笑ましく思う。少し長くなったので、続きは次回に...

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