芥川龍之介「蜜柑」を読んで

前回の「檸檬」に続いて芥川龍之介の「蜜柑」を読んだ。短編小説の旗手、芥川だが、題記の小説は短編と言うよりもエッセイほどの短さで、青空文庫で見るとほんの1ページほどだ。「羅生門」「鼻」などの代表作に比べると知名度は低いが、爽やかなエンディングは他の作品とは違った魅力が込められている。芥川は学業を終えて最初に勤めたのが横須賀の海軍教育機関で、英語教師として赴任していた。その頃、鎌倉に下宿していたようで、この短編は通勤時の横須賀線の車中での出来事を元にした小説だ。私も横須賀にある会社に入社して初めの頃、葉山に住み同じ横須賀線で通勤したことがあった。この小説自体は大学時代に購入した芥川の全集の中で知っていて、この小説の少女が最後に撒いた蜜柑がどの辺であったか当時、気になったものだ。実話からして、隣の田浦駅よりも横須賀駅に近くかつトンネルを越えた先の踏切りなので、そこぞと思われる場所を通るたびに一時は密かな興奮を覚えたものだった。今回、画集としてイメージされた「蜜柑」を読んだのだが、何か別の世界を垣間見た感がした。今まで思い描いていた風景と違うのだ。イラストを描いた作家さんはおそらく実際にいろいろと取材し列車にも乗ったであろうと思うと、この作品の当時の風景はこの画集の方がより正確なような気がするが、何か違う。ボックスシートで馴染みの横須賀線が、3等ではない2等車なのに画集ではベンチシートになっているのも妙だが、一番の違いはそこに流れる空気感のような気がする。作風では疲労と倦怠感がずっと渦巻く中、最後の一瞬にそれが僅かながらも清々しい様に変貌する流れで、このほのぼのさをイメージし映像化するのは個体差があって、やはり人それぞれの感がした。それでもこの作品が発表された大正8年の当時をノスタルジックに彷彿させてくれた本書に感謝したい。

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